松籟社ホーム  >  安藤哲行「現代ラテンアメリカ文学併走」

2020/4/17-6/21

ルイス・セプルベダの死、そして最後の作品『白いクジラのお話』

  4月17日、新聞に、ルイス・セプルベダが新型コロナによる合併症で死亡、という記事が載った。えっ、と思い、ネットでスペインの報道記事を見た。そのいくつかをまとめてみると次のようなものになる。セプルベダは、ポルトガルの北部のポヴォア・デ・ヴァルジンで、様々な国から100名ほどの発表者が集まって2月18日から23日まで開催された文学フェスティバルCorrentes d’Escritasに妻の詩人カルメン・ヤニェスとともに参加したあと、1997年から居を構えているスペインのアストゥリアス州(州都オビエド)のヒホン市に戻るが、その2日後の2月25日に気分が悪くなり始める。民間の医療機関で肺炎と診察され、Covid-19のテストで陽性と判断される。そして2月29日にオビエドにあるアストゥリアス中央大学病院の隔離ゾーンに移送され、アストゥリアス州で新型コロナウィルスに感染した最初の患者として、その病院に48日間入院、その大半は集中治療室の人工呼吸器につながれていたが、最後の数週間は次々に施される治療にも抗生物質にも反応せず、最初の肺炎に他の病状、生命維持に必要な様々な内臓器官に関わる問題が加わって悪化していき、4月16日午前10時18分に死亡。1949年10月4日生まれなので、享年70。この日のスペインの死者551名のうちの1人となった。なお、文学フェスティバルの参加者に発症した人はいないため、どこで感染したかは不明。


Cuaderno de viaje
『旅の手帖』原書
(Colegio del Rey, 1986)

  セプルベダといえば、まず「モビー・ディックの影」というタイトルで長篇『世界の果ての世界』(1989)を『ユリイカ』(1995年2月号、『現代ラテンアメリカ文学併走』所収)で取り上げたあと、『恋愛小説を読む老人』(1989)、『パタゴニア・エキスプレス』(1995)、『闘牛士の名前』(1994)、『カモメに飛ぶことを教えた猫のお話』(1996)、『ホットライン』(2002)といった作品の紹介を続けた。そして『パタゴニア・エキスプレス』(国書刊行会、1997)、『恋愛小説を読む老人』(邦題『ラブ・ストーリーを読む老人』、新潮社、1998)、『カモメに飛ぶことを教えた猫のお話』(邦題『カモメに飛ぶことを教えた猫』、白水社、1998)、『センチメンタルな殺し屋の日記』(1996、邦題『センチメンタルな殺し屋』、現代企画室、1999)の合わせて4冊が翻訳出版されていった。彼の名を欧米に広めたのは、1992年にフランス語訳が驚異的な大ベストセラーになり、2001年にはロルフ・デ・ヒーア監督、リチャード・ドレファスで映画化もされた『ラブ・ストーリーを読む老人』だが、さらに浸透させたのはやはり『カモメに飛ぶことを教えた猫』だろう。1998年にはイタリアで『ラッキーとゾルバ』というタイトルのアニメにもなっているし、何といっても猫のファンは読書好きより幅が広い。セプルベダはヨーロッパ、とりわけフランスとイタリアで人気が高く、作品は次々に翻訳されている。


Patagonia Express
『パタゴニア・エクスプレス』原書
(Tusquets, 2011)

  確かにセプルベダの作品はどれを読んでも読書をする楽しみは味わえるのだが、その経歴を含めて、彼がどんな語り方をするのかを知るには『パタゴニア・エキスプレス』が最適。拙訳の作品を薦めるのは気恥ずかしくもあるが、それほどの作品であるので仕方ない。1949年、チリのオバージェで人生という旅を開始し、祖父の薫陶を受けて共産主義に共鳴し、1970年にピノチェト独裁政権下で刑務所に入れられ、1976年にアムネスティによって救い出された後、ラテンアメリカ各地を転々とし、やがてスペインに住む祖父の弟のところにたどり着くまでの長い旅の記述はときにシニカルに、辛辣にもなるが、総じてユーモアにあふれる。旅の先々で見聞きしたことを心の内に取り込み、それを自分の言葉で語りなおす、その語りはセプルベダの真骨頂であり、優れた紀行文学のもつそれであると言えるだろう。このことは1986年に出版された『旅の手帖』からもわかる。この作品は1985年のアルカラ・デ・エナレス市賞を受賞しているが、1977年から1985年にかけて書いた10篇を集めたもの。それぞれの作品の最後に記されたペルーのカジャオ、エクアドルのグアヤキル、ブラジルのサントス、ニカラグアのマナグア、ハンブルク、マドリッド、ユーゴスラビア(今はクロアチア)のアルタトレ、パリといった町の名からは行動的なセプルベダの足取りが垣間見られる。ちなみに『ラブ・ストーリーを読む老人』はアルタトレで起稿されている。

  セプルベダはこの『ラブ・ストーリーを読む老人』で圧倒的な数の読者を獲得したが、ロベルト・ボラーニョ(1953-2003)は、セプルベダとよく比較された。同じチリ出身であり、独裁政権時代に一時拘留されたあと、チリを離れてメキシコへ移り、やがてスペインに居を構えて文学活動をする、という傍目には似たような点があるからだ。作風は異なっており、比較することじたいおかしいのだが、ボラ―ニョ自身がそれをしたことがある。ボラ―ニョは、1998年11月、『通話』(1997)でサンティアゴ・デ・チレ市賞を授与されるのにあわせて25年ぶりにチリに帰国。その際、ラ・ナシオン紙のインタビューを受けたが、その中でセプルベダの話題が出たとき、セプルベダとはそりが合わないと思えるような経験をしたせいで、次のように応えている。


    二人ともたくさん書いているけれど、セプルベダは僕よりずっと成功している。でも僕の文学は彼のより難しい。彼は僕より売っている。彼の文学は僕のものより食べやすいし、すぐに消化されるから。(略)僕はセプルベダよりずっと良い批評(評判)を得ている。


  1998年というのは『野生の探偵たち』が出版されてエラルデ賞(翌年には歴史のある重要な文学賞であるロムロ・ガジェゴス賞)を受賞した年だが、この段階では、先に記したセプルベダの作品に比べれば、ボラ―ニョのそれまでの作品はそれほど読者を獲得してはいない。世界的な名声を得て、多くの人々に読まれるようになるのは死後、2007年に『野生の探偵たち』の英訳がニューヨークタイムズ・ブックレビューのベスト10に選ばれ、2008年に『2666』が全米批評家協会賞を受賞して大ブームとなるのを待たなければならない。ただ先のボラ―ニョの言葉は二人の文学の違いを的確に語っている。読書に求めているものの違いが読者を区分する。ただ、読者が自分の文学に何を求めているのかということを熟知してボラ―ニョもセプルベダも作品を書き続けていたことだろう。

  残念なことに、二人とも帰らぬ人となってしまったが、セプルベダが生前最後に発表したのは、『カモメに飛ぶことを教えた猫』と同じように「八歳から八十八歳までの若者のための小説」と銘打たれた『白いクジラのお話』(2019)。マルタ・M・グステムスというバルセロナ在住の画家が表紙と10枚の挿絵を描いている、14章からなる中篇だが、最初の章「1 海の古いことば」は次のようなもの。


    二〇一四年の南の夏のある朝、チリのプエルト・モントのごく近く、丸い小石の海岸に一頭のクジラが打ち上げられた。長さ十五メートルのマッコウクジラで、奇妙な灰色の体は動いていなかった。
    たぶん方向を見失ったクジラだ、と言う漁師たちもいれば、おそらく海に捨てられたゴミというゴミで中毒になったんだ、という漁師たちもいた。そして深い、悲しみの沈黙が、世界の南の灰色の空の下、その巨大な海の生き物を取り囲んでいるわたしたち全員の敬意の表れとなった。
    そのマッコウクジラは干潮の弱い波に二時間足らず揺られていたが、やがて船がやってきて、近くで錨を降ろした。そして太いロープを持った数人の男たちが水に飛び込み、そのロープを尾びれ、もしくは尻尾に結ぶと、船はとてもゆっくり南に舳先を向け、海の巨人の遺体を引っ張っていった。
    「あのクジラをどうするの?」とわたしは、毛糸の帽子を両手で持って船が遠ざかっていくのを眺めている一人の漁師に訊いた。
    「敬意を払うんだよ。湾の南の出口、外洋に行ったら、遺骸を切り開き、浮かないように内臓を空っぽにする、それから大洋の冷たい暗がりに沈ませてやるんだ」と漁師は小声で答えた。
    まもなく船とクジラは輪郭のはっきりしない島々の間に消え、人々は海岸から離れたが、一人の子供がじっと海を見つめていた。
    わたしは彼に近づいた。その暗い色の瞳は水平線を凝視し、二粒の涙が頬を伝っていた。
    「わたしも悲しいよ。君はここの人?」とわたしは挨拶代わりに言った。
    その子は答える前に小石の浜辺に腰をおろした。わたしもそうした。
    「もちろん。ぼくはラフケンチェなんだ。どういう意味か知ってる?」と彼は訊いた。
    「海の人々」とわたしは答えた。
    「で、あんたは、どうして悲しいの?」とその子は知りたがった。
    「クジラのせい。いったい何があったんだろうね?」
    「あんたには一頭の死んだクジラだけど、僕にはずっと、それ以上のものなんだ。あんたの悲しみは僕のと同じじゃない」
    行き来する波が時計代わりになってしばらくわたしたちは黙り込んだが、やがて彼は自分の手より大きなものをわたしに差し出した。
    ロコ貝だった。とてもすばらしい海の貝で、殻の外側はごつごつし、内側は真珠のように白かった。
    「耳にくっつけてみて、そしたらクジラが話してくれるよ」と小さなラフケンチェは言うと、暗い、小石の浜辺を急ぎ足で遠ざかった。
    わたしは言われたとおりにした。すると世界の南の灰色の空の下、とある声が海の古いことばでわたしに話をした。



Historia de una ballena blanca
『白いクジラのお話』原書
(Tusquets, 2019)

  そのロコ貝を介してクジラ、「月の色のクジラ」が語り手(わたし)となって話し始める。最初人間たちは海に筏を浮かべ、陸の見えるところまでしか動かなかったが、やがて帆を張って水平線を恐れずに海に乗り出すようになる。わたしを見た乗組員たちは「白い色のクジラがいる!」と驚く。そんなわたしはマッコウクジラで、人間がモチャと呼ぶ島を囲む冷たい海で生まれた。船に近づき飛び上がったり尾びれを打ち付けたりして人間たちに挨拶をしていたこともあったが、あるときゴンドウクジラの声を聞き、近づいてみると環に結ばれた綱の断片がついている棒(やがてそれは銛というものであることを知る)が背に突き刺さって苦しんでいる。その彼の目から、人間たちが大きな船に乗って自分たちを殺しにやって来始めたことを知る。そしてモチャ島近くの海で、年老いたマッコウクジラに出会いいろいろな話を聞かされる。「人間たちはわたしたちの肉を食べるために捕えるんじゃない。わたしたちの内臓の脂が欲しいからだ。それは燃えると彼らの住まいを照らし出す。わたしたちが怖いから殺すんじゃない。人間たちがそうするのは、暗闇が怖いから、そしてクジラたちはその闇から救ってくれる光をもっているからなんだ」。そしてモチャ島の対岸に住むラフケンチェ、もしくは海の人々と呼ばれる人間たち、森と海に敬意を示しながら暮らすそんな彼らのところにも、すべてを我が物顔に略奪していく男たちが遠いところから来るようになる。捕鯨者たちも同類なので、いよいよこの海から離れなくてはならない。

  そんな話をした年老いたクジラは、やがて子クジラが大きくなり、いよいよ移動するというとき、代々受け継いできた話をわたしにする。モチャ島には鳥と小動物しか棲んでいない。またその島と陸とを分けている海域にはクジラもイルカも棲んでいない。陸に住むラフケンチェたちは強欲な他所者たちがやってくるのを知って、彼方へ逃れようと考えている。モチャ島と陸の間の海域には四頭の年老いた雌クジラが時の始まりから棲んでいるが、昼はラフケンチェとして陸で過ごし、夜は海に入ってクジラに戻る。「一頭のクジラが死ねば、私たちは悲しみ、その体が沈むまで付き添う。一人のラフケンチェが死ねば、彼らも苦しみを、悲しみを感じ、夜を待って死者を海辺まで運ぶ。年老いた四頭のクジラの一頭、つまりトレムプルカウェが島まで運んでくれるのを知っているからだ。その島で、カニが甲羅を替えるときにするように、死者は肉体を棄て、空気のように軽くなり、彼に先立っていた血筋の者たちのそばで待つ。/彼らはその島をンヒル・チェンマイウェ、大いなる旅が始まる前の集合地とも呼んでいる。(中略)月の色の若いマッコウクジラよ、おまえの使命はモチャ島と陸の間の海域で生きることだろう。そして年老いた四頭のクジラの面倒を見てくれ。その間、私たちは最後の旅に向けて広大な大洋で待っていよう」

  それ以後わたしはその海域でラフケンチェたちと四頭のクジラを見守りながら暮らすが、あるとき捕鯨船が現れ、四頭のクジラを捕らえようとしたため、姿を現して彼らの注意を引き付ける。そのわたしの大きさに惹かれた強欲な捕鯨者たちはわたしを追いかける。そうこうする間にわたしは彼らの狩の方法を知り、捕鯨ボートの横に飛び上がって、沈める。海に投げ出された男たちはひっくり返ったボートにしがみつく。そして、「戻ってくるからな、モチャ・ディック!」と銛打ちが叫ぶ……。

  こうしてモチャ・ディックと捕鯨者たちとの闘いが始まり、それはやがてモチャ・ディックが長い間見守ってきた海域を離れることになるまで続く。

  『白いクジラのお話』というタイトルからはすぐに『白鯨』が想起され、モチャ・ディックという呼び名はモビィ・ディックに結びつく。とすると、この作品はピークオッド号の生き残りイシュメールを語り手にした『白鯨』をクジラを語り手にして構成しなおしたもののようにまずは思える。だが、最後の章「14 海が話す」で、そうではないことが記される。この章は短いが、本作の起源を知るには大事な章であり、以下がその全文。


    世界の南ではお話がたくさん語られている。
    太平洋の水域で、チリの海岸とモチャ島の前で、一八二〇年十一月二十日、巨大な白いマッコウクジラが、捕鯨船エセックス号を襲い、沈めたという。その船は遭難する十五カ月前に北大西洋のナンタケット港から出帆していた。
    その巨大な白いマッコウクジラは、銛打ちたちが雌のクジラとその子供を殺したからエセックス号を襲ったという。
    モチャ・ディックと呼ばれる、二十六メートルの長さのその巨大な白いマッコウクジラを、エセックス号の沈没から二十年後、ついに仕留めるには何艘もの船が必要だった、そして死の瞬間には、その体には百本余りの銛が突き刺さっていたという。
    満月の夜には、無人のモチャ島の西海岸からは、月と同じ色をした巨大な白いマッコウクジラが海の深みから浮上するのが見られるという。
    そう。世界の南ではお話がたくさん語られている。



『白鯨』上巻
(八木敏雄訳、岩波文庫)

  後書きのようなこの章で明らかにされるエセックス号のエピソードはメルヴィルを刺激し、『白鯨』(1951)を書かせることになったと言われている。メルヴィルは1841年、22歳の時、実際に捕鯨船の乗員となっており、その体験が『白鯨』にも活かされているのだが、エセックス号のことについては、『白鯨』の第45章「宣誓供述書」の事例Tで触れており、「(略)捕鯨ボートをおろし、一群のマッコウ鯨を追跡しました。やがて数頭は手負い鯨になったわけでありますが、そのとき突然、ボートの追跡をのがれた巨大な一頭の鯨が群れをはなれて、該船めがけて突進してきたのであります。鯨は前頭部を船体にぶち当てて穴をあけ、ものの「一〇分」もしないうちに船は浸水し、横転し、沈没しました。(中略)わたくしはエセックス号の悲劇があったときの一等航海士オウエン・チェースと面識があり、その簡潔率直な手記を読んだことがあります」(八木敏雄訳、岩波文庫)と述べる。そしてさらにこの部分の注として、チェースが綴った手記からの抜粋を付記している。「鯨の形相はものすごく、怨恨と憤怒を如実にあらわしていた。われわれはその鯨が属する群れに突っ込み、うち三頭をしとめたが、くだんのクジラは仲間の苦悩ぶりに激昂し、復讐をとげるべく、群れをはなれて本船めがけてまっしぐらに突進してきたのである。(略)ただ日がまたのぼるまで、わたしのこころを捕らえてはなさなかったのは、あの凄惨な難破の情景と復讐の念にこりかたまった鯨のものすごい形相だけであった」。このチェースの記述からは一方的に捕獲されるだけの対象であったクジラが実は人間と似たような感情を抱き、恨みもすれば復讐もする、そんなふうに思えるような事象に直面した人間の側の驚きや恐怖があらわにされており、先に復讐の念を抱いたのは巨鯨であることがわかる。この復讐の念を逆転させたのが『白鯨』で、メルヴィルは、ピークオッド号の船長エイハブに片足を奪った巨鯨を執拗にどこまでも追い続けるほどの恨みを抱かさせるが、エイバブにとってはモビー・ディックを倒すことが自分の使命、存在意義にすらなっている。『白鯨』の最終章で一等航海士のスターバックは「モービィ・ディックはあなたを求めてはいません。やつを狂ったように求めているのは、あなた、あなたなのです!」とエイハブに叫ぶ。


『白鯨との闘い』DVD
(ロン・ハワード監督、ワーナー・ブラザース)

  巨鯨に復讐されるエセックス号の海難事故をナサニエル・フィルブリックは『復讐する海――捕鯨船エセックス号の悲劇In the heart of the sea:The tragedy of the whaleship Essex』(2000、集英社)というノンフィクションに仕上げ、2000年の全米図書賞を受賞する。また、これを原作としてロン・ハワードが2015年に原作と同じタイトルIn the heart of the seaで映画化。ただし邦題は『白鯨との闘い』となったため、前掲の『復讐する海』は文庫化時に『白鯨との闘い』に変わった。ただ、原作も映画もいい作品になっているが、乗組員が白鯨と勇敢に戦うようなシーンはない。巨大なマッコウクジラに襲われて難破したあとの乗組員たちのありよう、極限状態に置かれた人間の思考と行動に焦点が当てられているからだ。「ナンタケットの長い捕鯨の歴史のなかでも、クジラが船をおそった例はそれまで一度もなかった」(相原真理子訳)にもかかわらず、「仲間のクジラに対する、きわめて人間的な思いやりの情にかられて」クジラはエセックス号を襲う。こうしたクジラの行動は先に訳した『白いクジラのお話』の中でも、「巨大な白いマッコウクジラは、銛打ちたちが雌のクジラとその子供を殺したからエセックス号を襲った」とされている。


Mundo del fin del mundo
『世界の果ての世界』原書
(DENIA, 1990)

  ところで、クジラといえば『世界の果ての世界』でも、物語の軸となっている。この作品は、日本の捕鯨船とクジラを守ろうとするグリーンピースの闘いを描いたものだが、クジラたちは最後に捕鯨船に体当たりし、座礁させる。物語は1987年から1988年にかけての出来事として設定されており、母船からボートを下ろして捕鯨者が鯨の間近に迫って銛を打ち込むといったエセックス号の時代とは違って、捕鯨砲やソナーを備え、船の装備も船体そのものもはるかに頑丈に大きくなっているそんな船に、いったい鯨が立ち向かえるのかとも思うのだが。物語は捕鯨者と捕鯨を阻止しようとする環境保護運動家といった人間同士の闘いに力点が置かれているものの、中心となるのはやはりクジラである。なにしろクジラをめぐって物語が展開しているのだから。

  いっぽう、この『世界の果ての世界』は『白鯨』を介して、先に述べた『白いクジラのお話』とつながっている。この作品の冒頭は次のように始まっている。


    「イシュマエルと呼んでくれ、……イシュマエルと呼んでくれ」と、ハンブルク空港で待っているとき、僕は何度かその言葉を繰り返した。そして奇妙な力が薄い航空券の冊子にだんだん大きな重みを与えるような気がしていた。そしてその重みは出発の時刻が近づくにつれて増えていった。
    保安検査場を通り抜けたあと、手荷物のバッグを握りしめて出発ロビーをぶらついていた。バッグにはそんなにたくさんのものは入ってなかった。カメラが一つ、メモ帳、そしてブルース・チャトウィンの本、『パタゴニア』。僕は本に線を引いたり書き込みをしたりする人たちがずっと大嫌いだったが、その本は三度読んで増えていった下線や感嘆符だらけだった。そして、サンティアゴ・デ・チレまでのフライトの間に四度目の読書をしようと思っていた。


  そして次のように終わる。

    それはロコ貝だった。南半球の海にしか存在しない巨大な軟体動物。僕はそれをバッグから取り出し、耳にうまく当てた。そうだ、間違いない、それは僕の海の激しいこだまだった。僕の海の乾き、しわがれた、太く大きな声。僕の海の永遠に悲劇的な音調。
    たぶん自分の子供たちのことを考えていたので、同じ列の通路側に僕から離れて坐っている子に注目することになったのだろう。十三歳ぐらいだったが、冒険の轟音に眉をひそめて一心不乱に読書をしていた。
    僕は恥知らずな闖入者のように身をかがめてその本の表紙を見た。
    その子は『白鯨』を読んでいた。


  この『世界の果ての世界』の最初と最後の部分からだけでも、『白いクジラのお話』の最初の章へと続いていくのがわかるだろう。『白鯨』、ロコ貝、世界の南、パタゴニア。もちろん続編ではないし、物語そのものが続くわけでもない。人間の側から見たクジラ、クジラの側から見た人間という2つの視点が1人の作家によってまとめあげられるのだ。『白いクジラのお話』では、クジラと共生する人間、その共生の世界を破壊する人間、という人間のもつ両極端な性格が描かれているが、クジラを自然の象徴と見なせば、ではどうやって自然との調和のとれた世界を築いていうのかという問いかけとなる。『白いクジラのお話』は、グリーンピースの一員として活動し、やがて環境保護活動に取り組んだセプルベダの最後の作品となったが、その経歴を考えると、最後を飾るにふさわしい作品のようにも思われる。


『パタゴニア・エキスプレス』日本語版
(安藤哲行訳、国書刊行会)

  セプルベダはブルース・チャトウィンが旅をしたパタゴニア、世界の南、世界の果ての世界をこよなく愛していた。そして『パタゴニア・エキスプレス』の中で、「人生はいつだって刺激的、最後の息をするまで生きるに値する」と書いた。だが、それから25年後、新型コロナウィルスに感染して48日間の入院を余儀なくされていたときにはいったい何を思ったのだろう。もしかしたら、夢の中で、ふたたびパタゴニアを旅していたのだろうか。


(2020.4.17-6.21)




■執筆者紹介

安藤哲行(あんどう・てつゆき)

  ラテンアメリカ文学研究者。大学を退職後は、晴耕雨読、曇は翻訳の日々。
  訳書に、エルネスト・サバト『英雄たちと墓』(集英社)、カルロス・フエンテス『老いぼれグリンゴ』(河出書房新社)、レイナルド・アレナス『夜になるまえに』(国書刊行会)など多数。
  2011年に松籟社から著書『現代ラテンアメリカ文学併走』を刊行。


『現代ラテンアメリカ文学併走』

  世界を瞠目させた〈ブーム〉の作家の力作から、新世代の作家たちによる話題作・問題作に至るまで、膨大な数の小説を紹介。1990年代から2000年代にかけて生み出されたラテンアメリカ小説を知る格好のブックガイド。詳細はこちらへ。


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