松籟社ホーム  >  安藤哲行「現代ラテンアメリカ文学併走」

2020/12/10

圧倒的な筆力:フェルナンダ・メルチョール『ハリケーン・シーズン』

  8月26日にブッカー国際賞の発表があった。選ばれたのはオランダのマリーカ・ルーカス・ラインベルドの作品。最終候補としてのショートリストには6冊の本が挙がっており、日本では小川洋子『密やかな結晶』の受賞成るかが話題でもあったが、残念ながら落選。そのリストにはスペイン語圏からは2作品があった。いずれも女性の作品で、アルゼンチンのガブリエラ・カベソン=カマラ『チナ・イロンの冒険』と、メキシコのフェルナンダ・メルチョール『ハリケーン・シーズン』。このメルチョールの作品は11月18日に柳美里『JR上野駅公園口』が受賞した全米図書賞翻訳文学部門のロングリストにも挙がっていたが、ショートリストには進まなかった。とは言え、出版後高い評価を得て、その翻訳が2つの大きな賞のいずれにもノミネートされた作品がどのようなもの見てみよう。


Hurricane Season
『ハリケーン・シーズン』英語版
(New Directions, 2020)

  まずエピグラフが二つ。

  復活祭期間中にダブリンで起きたアイルランド独立をめざす武装蜂起をもとにしたイェイツの詩『一九一六年復活祭』の一部、「彼もまた気まぐれな道化芝居の/役を降りた。この男にも/変わるときが来て、/完全な変身を遂げた。/恐ろしい美が生まれた」(『イェイツ詩集』、高松雄一篇、岩波文庫)。そして、メキシコの作家ホルヘ・イバルグエンゴイティアの、売春宿での長年にわたる多数の殺人に想を得た小説『死んだ女たち』の前書き、「本書で語られる出来事のいくつかは本当のことである。登場人物はすべて架空である」。

  この二つのエピグラフは作品全体にうまくからんでいるのだが、それはさておき、読み始めたとたん、呆けていた頭がいささか緊張するというか、脳細胞を活性化しないと読み続けるのが大変ということになる。そんな書き方、構成になっているからだが、1としてまとめられている最初の章の全文を原文の書き方にならって(とりあえずピリオドには句点、コンマには読点を用いて)訳してみると……。


川から上がる細い道を通って用水路に着いた、いつでも応戦できるようパチンコのゴムを引っ張り、真昼のぎらつく輝きの中、まるで縫い合わせたかのように目を細めて。彼らは五人、リーダーだけが水着を着ている、五月初めの背の低いサトウキビ畑の乾いた茂みの中で燃えるように赤いトランクス。その他の隊員たちは下着のトランクスで彼の後に続いていた、泥のゲートルを巻いた四人、その日の朝、川で拾った小石の入ったバケツをかわるがわる運ぶ四人、しかめっ面で荒っぽい四人だが、自分を犠牲にする覚悟がすっかりできており、こっそりしんがりを務めている一番年下の者でさえ怖いと口にしようとはせず、パチンコのゴムを両手でぴんと張り、革のパッドで丸い小石を握りしめ、待ち伏せの気配を感じたら行く手に最初に現れるものをやっつける用意はできている、彼らの背後の木々での見張りとして徴集したビエンテベオの啼き声の中で、あるいは葉が激しく押しのけられて立てるカサカサという音の中で、あるいは彼らの眼前で空気を裂く石の立てるヒューンという音の中で、そしてその空気の熱い微風はほぼ白い空に映える軽やかなヒメコンドルたちにあふれ、顔に当たる一つかみの砂よりも耐え難い臭いが、腹に下りていかないよう吐き出したくなる、先に進む気を失くさせる、そんな異臭が充満している。だがリーダーは家畜が通る細い道の端を指さした、草の上に四つん這いになった五人、一体化したような五人、アオバエに囲まれた五人は、ついに水の黄色い泡の上に姿を見せているものの正体を知る、イグサと風が街道から押しやったビニール袋の間にある死者の腐敗した顔、無数の黒い蛇たちの中でうごめき、頬笑んでいる黒い仮面。


  5人の子供が用水路で腐乱した死体を発見するというこの1で、まずミステリの要素が導入される。むろん事故死なのか殺人なのかはわからない。だが、続く2で、この死体がブルハと呼ばれる人物であることがわかり、犯人も暗示される。とはいえ真犯人なのかどうかわからない。事件の真相は2から6へと読み続けるうちに明らかになる。

  物語全体は1〜8で構成されており、1は上記したように5人の子供たちによる死体の発見、2から6までがこの死体に関わる主な人物、ムンラ、ブランド、ノルマ、ルイスミという4人の若者たちの過去と現在。7は魔女、ブルハの家に隠されたお宝、警察による家宅捜査、ハリケーン・シーズン等々をめぐる様々な噂話。8は共同墓地の切り株に坐って、引き取り手のない様々な死体が掘られた穴に放り込まれるのを眺める老人の思いや隊員との会話が綴られる。そうして物語はブルハの死体の発見で始まり、そして埋葬で終わる。結局、個別的に語られる物語全体をブルハとその死がつないでいることになる。


Temporada de huracanes
『ハリケーン・シーズン』原書
( Literatura Random House, 2017)

  物語の舞台はメキシコのラ・マトーサという架空の村。そこから13.5qのところにビージャという都市があることになっているが、これも架空とはいえカーニバルで有名ということなので実際はベラクルス市となるのだろう。全体としては、フォークナーのヨクナパトーファ、あるいはオネッティのサンタ・マリアのような枠組みの中、ラ・マトーサという架空の世界も常に現実に存在する世界の影響を受け続け、変容していく。

  ではいつの時代の話か。ラ・マトーサは1978年のハリケーンで100名あまりが地滑りの被害で泥に埋まるという記述があるが、物語が展開する今という時を明確にしているのは2004年2月16日という具体的な日付。この日、ムンラは交通事故で脚を複雑骨折する。それが物語におけるムンラの特徴や役割を規定すると同時に、彼が関わる登場人物たちの時間軸を固定してもいる。

  では物語の軸となるブルハとは何者なのか。それは2で明かされる。ブルハBrujaとは魔女・呪医の意味で、この場合は通り名だが、もともとこのブルハの母親がそう呼ばれていた。母親のブルハは怪しげな煎じ薬を処方して民間療法を施したり相談にのっていたりして近隣の人々に頼りにされていたのだが、誰も彼女の名前を知らない。相談に彼女の家を訪れた人たちはそんな彼女と一緒にいる子供が名前でではなく、いつも「おまえ、うすのろ、ばか、ろくでなし」としか呼ばれないことを知る。そしてその母親がいつの間にかいなくなってからは、罵倒語でしか呼ばれていなかった子を母親同様ブルハと呼ぶようになる。そんなブルハの家に町の若者たちはドラッグとセックス、金欲しさに足しげく通うが、いつしかブルハは家のどこかに大金を隠しているという噂が生まれる。

  物語はメキシコの石油事情を受けて変わっていくラ・マトーサやその住民についても描かれていくが、先に記した4人の人物がどう関わるのかという点だけにしぼってごく大雑把にまとめると……。ブランドは年上の若者たちから、ホモセクシュアルとセックスすればいい金になると教えられるものの嫌悪感を抱く。だがあるとき、酔って眠っているルイスミと性的関係をもってしまい、その後、ルイスミがそれを他の連中に話すのではないかと怯え、やがてルイスミを殺すことまで考えるようになる。

  ノルマは、義父の性的暴力を受け続け、やがて妊娠し、家出をしてビージャの公園で泣いているところをルイスミに声をかけられ、ラ・マトーサにある彼の家で暮らすことになる。ルイスミはノルマに優しく接するが、彼女の妊娠を知ったルイスミの母親は中絶を勧め、ブルハのところに連れていく。だがノルマは処方された薬のせいで具合が悪くなり流産、その後も痛みと出血が止まらず、ルイスミと彼の義父のムンラが結局、病院に担ぎ込む。そこでノルマが未成年(13歳)であることが発覚。騒動になることを恐れ、ルイスミはブランドの勧めに従い、町を出ることにするが、その前に金を得るためにムンラの車でブルハの家に行く。ムンラが車内で待っていると、やがてブランドとルイスミが荷物を引きずって出てくる……。

  物語はこうしてブルハの死を軸に展開していくのだが、今時、魔女という存在を信じられるものだろうか。だが、物語はブルハの家を訪れる人々にとっては信じられるような環境の中で展開している。


絶対死ななかった、魔女たちは絶対そんなに簡単にくたばらないんだから、と言われている。いよいよってとき、あの男の子たちがナイフで刺すまえに、他のものに変わるための呪文をとなえることができたんだ、と言われている、トカゲかウサギになって山の奥深く隠れた。それとも殺されたあと何日かして空に現れた大きなトンビになったか、そのでっかい生き物は種をまく畑の上で輪を描いて飛び、そのあと木々の枝に留まって、下を通る人々を赤い目で見つめてたけど、くちばしを開いて話しかけたいみたいだった。


  巧みに構成されているこの作品でとりわけ驚かされるのは言葉遣いである。会話文にしても地の文にしても俗語、卑語、蔑称が頻出して粗雑な荒っぽい語りのような感じになっているのだが、それが作品で語られる性的暴力、殺人、貧困、ドラッグ、警官の悪辣さ等々の様々な暴力をより強調する。さらには、先に訳したように文と文が多くの場合、ピリオドではなくコンマでつながれていくことで物語の進行がアップ・テンポ気味になり、段落がほとんどないということもあって、読者にちょっとここらで一服などという悠長なことをさせない。迷信や俗信が根づいている世界を背景に極めて現代的なテーマを扱ってもいる本書を読むと、語られる内容をいかに語るか、その語り方、圧倒的な筆力に感心せざるをえない。このような物語の新しい書き方に出くわしたのはいつ以来だろう。なお、最後に付された謝辞の中にはちょうどいい時にガルシア=マルケスの『族長の秋』を勧めてくれた人物の名が含まれている。

  フェルナンダ・メルチョールは、1982年、メキシコの湾岸都市ベラクルスの南に隣接する町、ボカ・デル・リオで生まれる。ベラクルス大学でジャーナリズムを、プエブラ大学で美学・芸術を学ぶ。ジャーナリストとして活躍し、その分野での賞を数々受賞。一方、作家としては2013年に小説『偽ウサギ』でデビュー、そして2017年に出した2作目の『ハリケーン・シーズン』は内外で大きな反響を呼び、2019年にドイツのアンナ・ゼーガース賞を受賞、そして今年(2020年)、冒頭で記したようにブッカー賞のショートリストにノミネートされた。また、グレアム・グリーン『キホーテ神父』、アフィニティ・コナー『パールとスターシャ』等を翻訳している。


(2020.12.10)




■執筆者紹介

安藤哲行(あんどう・てつゆき)

  ラテンアメリカ文学研究者。大学を退職後は、晴耕雨読、曇は翻訳の日々。
  訳書に、エルネスト・サバト『英雄たちと墓』(集英社)、カルロス・フエンテス『老いぼれグリンゴ』(河出書房新社)、レイナルド・アレナス『夜になるまえに』(国書刊行会)など多数。
  2011年に松籟社から著書『現代ラテンアメリカ文学併走』を刊行。


『現代ラテンアメリカ文学併走』

  世界を瞠目させた〈ブーム〉の作家の力作から、新世代の作家たちによる話題作・問題作に至るまで、膨大な数の小説を紹介。1990年代から2000年代にかけて生み出されたラテンアメリカ小説を知る格好のブックガイド。詳細はこちらへ。


■バックナンバー

(2015/5/28)スペイン語で書かれたドイツ小説:ホルヘ・ボルピ『クリングゾールを探して』

(2015/7/11)詩を選ぶ:レイナルド・アレナス『自作の墓碑銘』

(2015/10/5)贋札を手にしたら:セサル・アイラ『バラモ』

(2015/11/15)風刺の刺の向かうところ:フアン・ガブリエル・バスケス『評判』

(2015/12/30)書店での本との出会い:ロドリーゴ・アスブン『愛情』

(2016/2/15)書店での本との出会い2:アレハンドロ・サンブラ『家への帰り方』

(2016/4/6)書店での本との出会い3:ホルヘ・ボルピ『選ばれた女たち』

(2016/10/9)小説とシナリオ:マヌエル・プイグ『天使の恥部』

(2016/12/30)ジャンルを超えて:マリアーナ・エンリケス『火の中で失くしたもの』

(2017/3/25)記憶を呼び覚ますもの:アルベルト・フゲッ『わが人生の映画』

(2018/8/17)本はそれぞれ、自分の読者を選ぶ:フアン・ビジョーロ『野生の本』

(2018/4/26−11/8)『ボマルツォ』への旅

(2019/2/12)母子をつなぐ糸:サマンタ・シュウェブリン『救える距離』

(2020/4/17-6/21)ルイス・セプルベダの死、そして最後の作品『白いクジラのお話』

(2020/12/10)圧倒的な筆力:フェルナンダ・メルチョール『ハリケーン・シーズン』